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司馬遼太郎を読む

松本健一

日本文学 評論 司馬遼太郎 松本健一 AudioBook版あり 2005年11月

司馬遼太郎賞作家による司馬文学案内。
「生きているときから懐かしいひとだった」司馬さんのことをそう追慕する、著者・松本健一氏。2人は頻繁に手紙のやりとりをする間柄であったが、互いの史観は必ずしも一致していない。
歴史に埋もれていた人物に独自の光を当て、新しい日本史像を浮かび上がらせた司馬文学――。日本精神史をつぶさに検証する気鋭のロマン主義者・松本健一氏の歴史認識――。
視座が異なっているからこそクリアに見えてくる、司馬文学に秘められた微妙で切実な希い。


ためしよみ

 はじめに:司馬遼太郎と「もう一つの日本」


 竜馬がよみがえった

 私は司馬さんには大変お世話になっていまして、今日もその思い出話などが若干入るかもしれませんけれど、それ以上に、司馬さんが文学をどのように考えていたのか、司馬さんの文学的な仕事はどういう意味を持っていたのか、広くいえばそういう話になるだろうと思います。
 司馬さんを文学者ととらえると、近代の文学者達とはちょっと変わったというか、別の視座を用意しなければ評価をしづらいというか、文学史の中にうまくおさまらないような、あるいは文学史自体を超えてしまうような、そういう大きな意味を持っている作家だと考えております。
 というのは、日本の近・現代文学、とくに小説はといえば「私小説」、「わたくし小説」でして、極端にいえば「私を見てくれ」(look at me)という文学です。
 私という人間はこのようなものである、世の中には高く評価されないかもしれないが、私には私の生きる価値があると思っているし、私だけの能力を持っている。お金はなく貧乏かもしれないけれど、そういう人間でもちゃんと生きた証を残したい――そういうことを世の中に訴えかける、「look at me」、「私のここを見てくれ」というのが、あるいは「私はこういう人間である」という存在証明が、「私小説」です。夏目漱石にしても、芥川龍之介にしても、それから現代の大江健三郎にしても、そういう文学であります。
 ところが、司馬さんは「私を見てくれ」という形で小説を書いていないのですね。じゃあ、どういう形で書いているのかというと、「私のことなんかよりも歴史を見てください、歴史の中にこんなに素敵な漢(おとこ)達がいる、こんなに素晴らしい人間達がいる、こんなに光を放っている歴史上の人物がいるじゃないか」というのです。
 つまり、「私を見てくれ」ではなく「彼を見てくれ」という小説であります。ですから、彼の物語、つまり「his―story」は「history」、すなわち「歴史」の小説が多い。多いというよりも、それが司馬さんの本質である、ということができるだろうと思います。
 しかし歴史小説家といわれている人々、たとえば松本清張や吉川英治も、みんな「歴史を見てくれ」ではないかともいえそうです。しかし司馬さんの特質は、いってみれば「もう一つの日本」を書いている、そこが他の歴史小説家と違う、というふうに私は考えております。
 たとえば司馬さんは坂本竜馬を書いています。もしかしたら、あの明治維新というのは坂本竜馬が創ったのではないだろうか。そうだとするならば、司馬さんはまさに「もう一つの」明治維新の歴史を書いているのであって、これはいわば「もう一つの日本」ではないか、というふうな説問が当然湧いてきて然るべきではないでしょうか。
 司馬さんが坂本竜馬を書くまでは、じつは坂本竜馬という人物は歴史上それほど大きな人物ではなかった。司馬さんが『竜馬がゆく』を書いたのは一九六○年代のはじめで、いまからだいたい四○年前ですが、四○年前までは「維新の三傑」といわれていたのは、西郷隆盛と大久保利通と木戸孝允でした。
 国民的な人気はもちろん「維新革命」の西郷さんに集まっていたのですが、木戸孝允だって戦前の「月形半平太」という劇を見ても、あれはモデルが木戸孝允、つまり桂小五郎ですから、やはり彼も人気が高かったわけですね。大久保利通は、明治国家の内務省や大蔵省を創り、戦前の内務省は日本の中枢を握り、日本の国家政策を決める役所でしたから、大久保利通の政治的力量も高く評価されていた。だから、この三人が「維新の三傑」といわれるのは当然だった。坂本竜馬はあまり高く評価されていません。
 司馬さんが『竜馬がゆく』を書くまでは、明治維新での坂本竜馬の業績というのはほとんど無に近かった。それが司馬さんの『竜馬がゆく』が、明治の革命精神を象徴するような、あるいは明治の国家だけではなく、明治という時代精神から今日に至るまでの大きな国家理想を決めたような人物、それが竜馬であるというふうに歴史の評価を変えてしまったわけですね。

(<はじめに>より)

松本健一(まつもと・けんいち)


1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。
評論家、麗澤大学国際経済学部教授。
在学中の評伝『若き北一輝』で注目される。
『白旗伝説』(講談社)、『われに万古の心あり』(新潮社)など著書多数。
『近代アジア精神史の試み』(中央公論社)でアジア太平洋賞。
『評伝 北一輝』(全5巻、岩波書店)などに関する業績で司馬遼太郎賞を受ける。


  • 目次
  • はじめに−司馬遼太郎と「もう一つの日本」
  • <第一部> 司馬文学の主人公たち
  • 懐かしい人−出会いの記憶
  • 坂本竜馬−自由なる精神
  • 土方歳三−士道に殉ず
  • 高田屋嘉兵衛−日露外交の先駆者
  • 斎藤道三−一国の城主となった一介の油売り
  • 空海−宇宙の神秘に目覚めた宗教家
  • 河合継之助−「侍」として美しく滅ぶ
  • 高杉晋作−“思想”という酒に酔わないリアリスト
  • 秋山真之−明治という「国家」を支えた歯車
  • 秋山好古−日露戦争を運命として引き受けた男
  • 司馬凌海−九ヵ国語をあやつる天才
  • 王女アビア−平戸藩士と結ばれた満州族(韃靼人)の女
  • 乃木希典−美的な生き方を貫いた、いくさの下手な詩人
  • 宮本武蔵−剣聖とよばれるにふさわしい男だったのか
  • 江藤新平−明治国家の司法制度を独力でつくりあげた天才
  • 大久保利通−明治国家の実務的な建設者
  • 沈壽官−秀吉の朝鮮出兵時に島津氏が連れ帰った陶工の末裔
  • 勝海舟−明治国家誕生の“偉大”な父たちの一人
  • <第二部> 土地の記憶『街道をゆく』
  • 檮原(ゆすはら)街道(一)
  • 檮原街道(二)
  • 十津川街道
  • 韓のくに紀行(一)
  • 韓のくに紀行(二)
  • 北海道の諸道(一)
  • 北海道の諸道(二)
  • 砂鉄のみち
  • オランダ紀行
  • 台湾紀行
  • 高野山みち
  • 佐渡のみち
  • 北のまほろば
  • 本郷界隈
  • 愛蘭土紀行(一)
  • 愛蘭土紀行(二)
  • 愛蘭土紀行(三)
  • <第三部> 文明批評による反省
  • 『この国のかたち』(一)
  • 『この国のかたち』(二)
  • 懐かしい、懐かしい−あとがきにかえて

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