第一章 生き残った者たち(ナイジェリアの町ラゴスにて)
母の悲鳴が聞こえた時、シャデーはやっと英語の教科書を通学かばんにすべり込ませたところだった。鋭い銃声が二度、朝の空気を引き裂く。うろたえた父の叫び声。
「ノー! ノー!」
急発進する車のエンジン音、横すべりするタイヤの音が、父の叫び声に重なる。
かばんがベッドからころげ落ち、本やペンや鉛筆が床に散らばった。シャデーはベランダに走り出た。入り口で押しのけた弟フェミの体は、恐怖のために木片のようにこわばっている。
「母さんが?」シャデーの問いは声にならない。
父が庭の車道にひざまずいていた。母の上半身は抱き起こそうとする父の方へぐったりと折れ曲がっている。むきだしの足の片方が前に投げ出されていた。父のごつごつした手が母をつかんで、みるみる広がる真っ赤なおぞましいものを必死で止めようとする。だが、それはもう母の真っ白い看護服全体に広がって、二人のまわりの地面にしたたり落ちていた。
あっという間の出来事だった。だが、後になって思うと、それはもっとずっと長く感じられるのだった。
駆けつけた人たちで、家の中はふくれ上がった。空気は張りつめ、皆押し黙っている。シャデーは居間の窓からじっと外を見ていた。頭がしびれているようだ。門のところに守衛のジョゼフが緊張した様子で立っている。何か少しでも物音がするたびに、ジョゼフは鉄の門のすきまから通りに不安げに目をやる。頭はまるで年老いたカメさながら、苦しげに前後に伸びる。門を開閉し、かんぬきを差し込む指がぎこちない。ジョゼフは目撃したのだ。いつものように、車で仕事にでかける主人のために門を開けた次の瞬間、奥様は地面に倒れ、白い車がタイヤをきしらせて、猛スピードでヤシ並木の大通りを走り去ったのを。
父の兄、ツンデ伯父が医者を連れてやって来た。父が母の横たわるソファーまで医者を案内する間、シャデーとフェミは父のそばにぴったりくっついていた。母の顔は天井の扇風機の方を向いている。わすかに開いた口、かすかに寄せられた眉。まるで、夢の中でほんのちょっと困ったことが起こったとでもいうように。だが、母を包むベッドカバーに目を移せば、刺繍の花模様は真っ赤に染まり、母の表情とは別のことを語っていた。シャデーは弟の手を握りしめて、待った。
「大変お気の毒です、ショラジャさん。奥様の助かる見込みはありません。弾丸が心臓に達していますから。」医者は低い静かな声で宣告した。「当局に届けますが、検死は新世病院でよろしいですか?」
いつもは言葉に満ちあふれている父が、黙ってうなずき、子どもたちをぎゅっと抱き寄せた。震える高い声。ブキ叔母の泣き声は、ひとりぼっちの海鳥のようだ。
「シスタ・ミ(ねえさん)! シスタ・ミ!」
シャデーの声は、体の奥で迷子になっていた。駆け寄りたかった。今すぐ母を抱き起こし、息を吹き込みたかった。手遅れになる前に……。だが、どうしても動けない。叔母は母のそばにかがみ込み、母の顔をベッドカバーの端でおおっている。涙があふれ出て叔母の広い?を流れる。シャデーは恐ろしさに凍りついたまま、それを見ていた。声にもならない涙は、石のように硬くなった体の中に閉じ込められている。
腫れものを突き破ったように、集まった人々の間に悲しみが噴き出した。母について人々が話すのを、シャデーはとぎれとぎれに聞いた。向かいに住む父の新聞社の編集長ファラナ氏は、銃声と車の走り去る音を聞いたという。その後あたりは静まりかえり、自宅の門からのぞき見ると、ショラジャ家の門が大きく開いていた。ファラナ氏は最悪の事態を予感し、通りを渡って駆けつけた。夫人も部屋着のまま追って来た。父が母を家の中へ運び入れるのを手伝ったのはファラナ氏だった。彼は急ぎ戻って、新聞社の他の社員に警告の電話をしなければならなかった。父は英字週刊新聞「スピーク紙」の最も大胆な新聞記者だ。だが、ねらわれるのは父だけではないかもしれないからだ。新聞に見出しが載るより早く、ニュースは人から人へ、歩道やハイウェイやラゴスの電話線をまたたく間に伝わる。今朝のこのニュースが母の勤める病院の同僚に届けば、またひっきりなしに人がやって来るだろう。訪問客の慰めや抱擁や、頭の中でまだ鳴り響いている銃声に息苦しくなったシャデーは、この部屋から逃げ出したくなった。
「ごめんなさい、ちょっと……」
やっと出た声は小さかった。だがかろうじて周囲に聞こえ、シャデーはようやく部屋を出ることができた。父の書斎ならきっと静かだろう。
書斎に入ると同時に電話が鳴った。シャデーは反射的に受話器をとり、よく聞こえるように片方の耳を手でおおった。
「スピーク紙の記者のフォラーリン・ショラジャさんのお宅かね」
男の声は低いが、非常にはっきりしている。
「ええ」
「呼んで来なくてもいい。伝えてくれ。おれたちは、家族を先に殺ってもいいんだ、とね」
その声は、そっと巻きついてのどをしめ上げる蛇のようにシャデーの息をつまらせた。シャデーは、書斎のドアまで来ていたツンデ伯父を、懸命に手招きした。伯父はすぐさま大またに歩み寄ったが、受話器を受け取ると同時に、電話は切れた。シャデーがしどろもどろに恐ろしい伝言を伝えると、伯父の灰色の太い眉が金縁の眼鏡の上に跳ね上がった。彼はますます重苦しい顔つきになった。
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