松島トモ子著

定価(本体1300円+税)
■B6判上製/224頁 ■ISBN4-8397-0115-6 C0095  ■2004.2

女優・松島トモ子がホームレスと語った
日比谷公園そしてマンハッタン。
20人のホームレスが語るさまざまな人生の軌跡。
どうしてトモ子さんが……。
どうしてホームレスが……。
人と人が優しく生きる記録。
これは珍しく そして感動的だ。(永六輔氏評)


  花と小父さん


  ジャージャーと油蝉のコーラスのシャワーが間断なく降り落ちてくる。篠懸
(スズカケ)の木の下のベンチに座っていると、葉っぱの透き間をぬって熱射が肌を焼く。五分もすればまるで蒸しタオルで全身を包まれたような熱さだ。
 パラパラと雀たちが二、三十羽空から落ちて来る。お互いにアッチッチ、アッチッチと喋っている。飛んでいる最中に羽が火傷しそうになる、なんてないのかしら。しばらく木陰で涼んでまた飛びたっていった。
 今回のお相手は絵描きの亀さん。ジーンズのオーバーオールに茶色のTシャツ。茶色の日除け帽。小肥りなのでまるで蒸し上がったテディ・ベアのようだ。
「冬も大変だけど、夏場のホームレスもきついでしょうね」
「この稼業に楽はありませんよ」
 少し離れたベンチには、お馴染みの先生と神戸屋の小父さんが並んで、真っ赤なアイスキャンディをなめている。足許に横たわっているノンちゃんは、ベロを出したままほとんど死に体。
 亀さんは傍らのリュックから、水彩で花を描いた葉書を取り出した。どれも静かな優しい絵だ。
「花を追いかけて四国遍路をしようかと思ってたんですけどね。日比谷公園に花が咲き出しましてね。つい、居着いちゃいました。一月には山茶花
(サザンカ)、葉牡丹。二月は梅。三月は椿、そめいよしの。四月は花みずき、連翹(レンギョウ)。五月はさつき、石南花(シャクナゲ)、鈴蘭……」
とよどみなく四季の花々の名を数え上げる。
「私は朝、花を描くんですよ。夕方になるともう汚くなりますから……。でもこの頃、花の人相が悪くなりましたね。そう思いませんか? 何かアメリカかぶれしているんだね」
と鋭い指摘。亀さんは東京に出てから十数年植木屋をやっていたのだそうだ。
「仕事は嫌いじゃなかったんですけど、庭に個性が無くなっちゃってね。先に予算が決まってから始めるんで、どれも同じような庭になっちゃう。明治神宮はいいですよ。あそこは昔、各県の県木を集めて造ったんですよ。環境に合ったものだけが残って自然淘汰されてゆくんですね。放置しておくとあんなふうに自然の森の雰囲気が出るんです。でもこの頃、雉や小綬鶏
(コジュケイ)の声がしなくなったのはなぜだろうかなー。この日比谷だって言わせてもらえばたいしたことないね」
「どこがいけないのかしら?」
「もっと人の眼の高さに花が咲くように神経使わなければ。泰山木
(タイザンボク)の花だってそうでしょ。あんなにてっぺんで咲いていたって誰の目にも触れないよ。鼻の先にあればあの花のかぐわしい匂いだって嗅げるのに……」
 かげろうのようにゆらゆらと先生が現れ、
「煙草吸うかい」
と、亀さんに一本さし出した。
「有難うございます」
 亀さんはリュックの中に丁寧にしまい込む。
「あら、吸わないの?」
「雨の日のためにとっておくんですよ。雨の日は拾えませんからね。煙草を拾うのはそんなに恥ずかしくないんですよ。でも拾ってまで煙草を止められないのは恥ずかしい」
「その気持ち、分かるような気がするわ」
「でもね、銀座へ行って絵を買ってくださいって言うのはもっと恥ずかしいですよ」
「どうして、とてもいい絵よ。一枚百円、十枚千円で買ってくださいと言えばいいのよ」
「それが言えません。私が描いているとき、良い絵ですねって言われたら、はずみで一枚百円です。どうですか? と言えるんだけどなー」
「面倒な人ね。じゃ私が特訓してあげるわ。ちゃんと相手の眼を見て言うのよ。一枚百円です。買ってください。じゃ、言ってみて!」
「いやー、いいですよ」
 亀さんは丸い体を小さくして照れている。鼻の頭には汗の玉が粒を作って立っている。
「ハイッ、元気出して、大きな声で」
「えー、この絵ー……」
「駄目、駄目、もう一度、ハイッ!」
 神戸屋の小父さんがノンちゃんを団扇で一生懸命にあおいでいる。でも暖かい風を掻き回しているだけなので、ひどい。これがホントのホット・ドッグ……ね。
 亀さんは暑い最中の特訓に耐え、何とかつっかえずに言えるようになった。それにしても素直な人だ。
「もう大丈夫よ。自信がついたでしょ」
「はい、おかげさまで……。じゃ松島さん一枚百円、十枚千円で買ってください!」
 やれやれ、私にばっかり売ってどうするの。亀さんの絵、家にもう二セットもあるわ。実は亀さんと逢うのはこれで二回目。先日、仲間の連中と諍いをおこし、両国の公園に居を移したと聞いていたが、三週間ぶりにひょっこりまた日比谷に戻って来たのだ。
「何かあったの?」
「いやー、酒飲んで絡んでくるのでうるさくてね」
 亀さんはホームレスには珍しくお酒が駄目でコーヒー党なんだとか。



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