バックミンスター・フラーの宇宙学校
Buckminster Fuller on Education
著/R・バックミンスター・フラー
訳/金坂留美子
定価(本体1800円+税)
■四六判上製/288頁 ■ISBN4-8397-0038-9 ■1987.10

子供は未来の贈り物。行きすぎた分化と専門化によって、今や破壊されつつある地球を救うのは彼らだ。「宇宙船地球号」の良心をはぐくむための教育とは何か。宇宙的で壮大な視点をもつフラーが、いままで誰も見せてくれなかった綜合的な地球の姿を明らかにしつつ、子供たちに英知をもたらすことのできる教育の必要性を説く。私たちの意識に大きな変革を迫る画期的な教育論。


ためしよみ

第一章 無知からの脱出――全体から個別へ

 わたしはものごとを考えるとき、よく二通りの手段を用いる。それは、過去の偏見やパターンにとらわれないための重要な方法である。
 そのひとつは、われわれが強烈に条件づけられた反射作用をもっていることを、ともかく無条件に認識することだ。たとえば「上」と「下」ということばがある。だれもがあらためて考えることなく使っているこれらのことばは、われわれは無限に横方向にひろがる平らな世界に住んでいるという、何百年もの歴史を持つ“誤った概念”に都合がいいようつくりだされたものである。ひとつの平面に垂直なすべての直線は互いに平行でなければならないから、意識は二方向、つまり「上」と「下」にしか行きようがなかった。
 このふたつのことばは、宇宙のなかで、太陽のまわりを時速六万マイル(時速九万六千キロ)の速さで回っているわが球形の惑星には、何の関係もない。宇宙には「上」も「下」もないのだ。「世界のすみずみ」とか「世界的な」といった表現をいまだにふさわしく思うのは、すなわち、われわれがいまだに「無限にひろがる平面」という視点でものを考えているということである。それはきわめて人間的なことだ。ふつうの人は一生かけても、地球の表面の百万分の一すら見ることはない。
 かりに地球がどこまでも限りなくひろがりつづける平面だったとしよう。すると、そこには汚してもいい土地も、すでに使いつくしてしまった資源に代わるものも、無限に存在することになる。もちろん、むかし地球はそう見えた。そしてわれわれは、いまだにそのような意識のなかにいる。同じように、われわれはもう五百年も前から、太陽はそんなふうに動いているわけではないと知っているにもかかわらず、いまもなお夕方になると陽は「沈み」、朝になると陽が「昇ってくる」と思いこんでいる。
 われわれの反射作用とは、われわれが理論的に“知っている”ことと、これほどまでにかみ合わなくなるものなのだ。とても“たくさんのことを知っている”という事実は、人間のよりよい行動を意味するものでは、けっしてない。

 第二の考え方とは「シナジー」に関するものだ。それは旧式の思考パターンから自由になる手助けをしてくれる。しかし、このことばを知っている人はほとんどいない。シナジーとは「それぞれの部分の働きを個別に見ていては予測もつかない、全システムの働き」を意味する。わたしは三百もの大学でたずねてみたが、「シナジー」ということばを知っている人はほとんどいなかった。そのような事実から察しても、この考え方は一般的なものではないようだ。
 太古の時代にはじまり、のちにチコ・ブラーエやヨハネス・ケプラーの観測によってより洗練された一連の重要な科学的計測は、いままでわからなかった太陽と惑星のあいだにある数学的な連動関係をあきらかにした。しかし、惑星間に目に見えるような関係が存在しないため、この連動関係
(コーディネーション)を生む力が何なのかは長いあいだ謎だった。惑星はどれもみな、大きさ、太陽からの距離が異なり、それぞれちがった周期で太陽のまわりを回っているからである。ほぼ同じころ、ガリレオが自由落下する物体の速度や、斜面をすべりおちる物体の滑降速度を計り、いくつかの運動の法則、とくに落下する物体の加速運動を説明する法則を導きだそうとしていた。
 このような努力に触発されたニュートンは、太陽や惑星の動きを数学的に説明できないものかと考えた。彼はケプラーがそうだったように、太陽系の物体のあいだには、何か引きあう力が作用しているにちかいないと推測したのである。ニュートンは、物体はほかの物体からの影響がないかぎり、直線的な運動を続けるはずだ、という仮説を立てた。つぎに彼は、地球が突然消えてなくなったと仮定して、月の運動がどんな直線を描くかを計算した。それから、実際の月の運動が与えられた時間内に、仮定した直線からどれだけはずれるか、すなわち地球に引っぱられて、月が地球方向にどれだけ落ちるかの割合を計算した。すると、その落下速度はガリレオの落体の法則と完全に一致したのである。
 ガリレオの「加速度変化」に糸口をつかんだニュートンは、ついに「万有引力の法則」を導きだした。すなわち、互いに影響しあうふたつの物体のあいだに生じる引力は、ふたつの物体の質量をかけあわせたものに比例し、そのあいだの距離が半減すると四倍になる。つまり2の二乗=4となる。やや修正の余地はあるものの、ニュートンの「万有引力の法則」は、いままでに観察された宇宙のマクロ、およびミクロの運動を説明したのである。単独で引力をもったり、引力に引かれたりする物体は存在しない。これがまさに「シナジー」の意味するところなのだ。われわれの宇宙の完璧な調和は「シナジー」によってささえられている。と同時に、このことばが一般の人々に知られていないという事実は、人類がいまだに、いかに無知であるかを示すものでもある。
 「シナジー」にはさまざまなレベルがある。原子から、分子の動きを予測することはできない。ひとつの分子から、生物学的な原形質の動きを予測することはできない。原形質それ自体から、われわれの惑星のすべての生命体の、エネルギー交換をしながら再生産していくエコロジー的な連動関係を予測することはできない。
 ミクロからマクロへ向かうにしたがい、より包括的になっていく宇宙のすがたは、ある段階ひとつをとりだして予測できるものではない。宇宙とは、たくさんのシナジーの集合体が生みだすシナジーなのである。「シナジー」が導く必然的な結果として、すでにわかっている統一体としての動きに、すでにわかっているいくつかの部分の動きを加えることによって、ほかの部分とそれらの動きの特性を知ることが可能になる。何が起こっているかをほんとうに理解するためには、われわれは部分から出発することを放棄しなければならない。そのかわりわれわれは、全体から個々の特性へと働きかけなければならないのである。

 この惑星には、植物があらゆる生命の維持に必要な太陽光線をたくわえるというみごとなエコロジー的バランスがある。植物は光合成によって太陽光線をたくわえ、炭化水素の分子をつくりだす一方、気体を放出する。哺乳類は植物によってつくりだされた気体によって生活し、お返しに、それを植物が生きるために必要な気体に変換する。もしその循環がなかったら、やがてこの惑星の大気圏は植物が吐き出す気体で充満してしまうだろう。このような循環運動における相補性は、われわれの宇宙全体の特徴である。そこには程度の差はあるにせよ、ほかのあらゆるものに影響を及ぼさないものは何ひとつ存在しない。そこには程度の差はあるにせよ、ほかのあらゆるものに影響を及ぼさないものは何ひとつ存在しない。これはもちろん、あらゆる生命体について言えることである。
 それに気づいたなら、われわれは人類の決断と行動の重大さについて、つねに考慮することを学ばなければならない。しかし社会は、時代おくれの習慣や、あまり正確でない資源やエネルギーの測定方法に固執しており、いまだに不具のままである。

 人間は、裸で無知のまま、この惑星に生まれおちる。しかし人間は、試行錯誤のうちに人生に対処していく方法をゆっくりと、より深く学んでいくという、すばらしい知的技術を与えられている。これは人間のすべての特性に無条件で優先する資質だ。われわれはまだ無知の深淵から充分に抜けだしてはいない。それを自覚するのは大切なことだ。新しいコミュニケーション技術の実用化と現在われわれがもっている膨大な情報とによって、われわれは急速に無知から抜けだしつつある。ところが無知の時代に条件づけられたわれわれの反射作用は、この新しい情報に現実的に対応しようとしない。
 われわれは、はじめは許されていた「無知」の殻を破りつつある。殻のなかのヒヨコがそうであるように、われわれはこの潜在意識の成長期を育むすべての栄養を与えられている。試行錯誤のための養分は使いつくされた。そして、われわれは成長した。いまやわれわれは物質を超えた「心」
(メタフィジカルマインド)のみが全宇宙の行動を制御している永遠の、重さのない、普遍的な原理を見出し、使いこなせることを知っている。殻は突如として破れ、ヒヨコのように、われわれは自力で立ちあがらなければならない。それはすべてか無か、どちらかになるだろう。そして、すべては、宇宙の原理にしたがっているのである。



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